演劇実験室◎万有引力

作品概要

|第50回本公演|
寺山修司台本による万有引力版
幻想カラクル音楽劇

THE NUTCRACKER
くるみわり人形
―眠りの世界の危険性(「夢は行為の妹じゃない」)―


ホフマンの幻想イメージ!からからなる発条仕掛の時計!人形と義眼の博士と砂男の一夜の狂宴!世界の遠近を自在に操る望遠鏡を持ったひとりぽっちの砂男とは!
E・T・A・ホフマンの「砂男」と「胡桃割りとねずみの王様」をもとに書かれた寺山修司の「幻想の悲劇譚」が「想像力の彼方」を経由し、観客たちの眼球に舞台化される!


眠り◎夢◎幻◎
義眼◎双眼鏡◎
眼鏡◎望遠鏡◎
時計◎砂時計◎
オペラ時計◎◎
時計修理人◎◎
時間◎◎◎◎◎


【解説】これは、寺山修司が1977年に人形アニメーション映画のために書き下ろした「くるみわり人形」(未映画化)を、岸田理生が舞台化のために潤色した作品である。
しかし、渋谷の西部劇場プロデュース(現・PARCO)で上演された「中国の不思議な役人」(1977年)、「青ひげ公の城」(1979年)に引き続き上演を予定していたが諸事情により実現がかなわなかった。
その台本をJ・A・シィザーが演劇実験室◎万有引力版として新たに手を加え舞台化する。
いうなれば今回初お目見えとなる幻の作品である。
少女クララの夢物語!
寺山修司の残酷メルヘン!
5月4日の寺山命日に衝撃の幕開けだ!

◎ ◎ ◎ ◎ ◎

「砂男」の話は――早く安全な眠りの世界へ逃げ込みなさいということであって、眠りの世界の危険性(たとえば、夢の中にも砂男がいたらどうするか)といったことには答えていない。
――私はそんなホフマンの世界に心を奪われ、両瞼をメルヘンの赤糸で縫いとじられていた私は、長じてその夢の構造に疑問を持ちはじめ、両目をあけない訳にはいかなくなった!

寺 山 修 司


【語録】寺山修司は、このシナリオを書く2年前の1975年、ユリイカに「方法としての砂男――ホフマン」と題したホフマン小説の幻想性について書いている。その文章より抜粋したいくつかをここに掲載する。これらは寺山修司のホフマン(眠りと夢と幻想)語録であり、この劇に関わるすべての人々のための劇先案内キーワードである。

◎ 「夢の中での日常の現実は、夢中人物たちにとっては、他の日常の現実と異なることはない」(ボードレール)とするならば、私はそれから免れるためには、眠ることをやめなければならないだろう。
――次々と眼鏡をとり出してテーブルの上に並べる晴雨計売りの老コッポラの手で、眼鏡たちはたちまち目玉に変わり、炎と燃える視線は入り乱れて跳ね上がり、血のように赤い視線をナタナエルの胸もとに射しこむ。
――望遠鏡のレンズを通して、美少女オリンピアに恋したナタナエル。しかし、レンズがこわれてみるとオリンピアはただの人形であることがわかる……
◎ 幻想は他動詞として使役されるのではなく、自動詞として立ちあらわれてきて、不条理を生み出す。
◎ カフカの多くの登場人物たちがそうであるように、百万人が必死でさがしても、砂男が見つからぬ、ということが幻想の悲劇である。

――ホフマンは、幻想を小説の手段として用いているが、私たちは幻想を方法化したいと思いつつ、その生成の構造を、精神分析や夢の研究にまで及ばせ、そのくせ、寝て見る自分の夢一つさえ自由にならぬ、ということに苛立っているのである。

◎ ――自然と人間の離反。想像力の最大の敵が自然、その想像力と幻想の離反……

私たちの時代にあっては、「だれのせいかわからぬ」のに、世界がグロテスクに歪み、目玉の入れ変えが行われ、男の子が栗鼠に変身させられているという事情がある。


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